第23話  庄内竿の竹            平成25年10月31日

「苦竹は、荘内特産の竹である」とは、本間祐介をはじめとして多くの大先輩の諸氏が物の本に書いている。確かにある意味では間違いないかも知れぬが、苦竹の正体がアオネザサであったとしたら、そんなに珍しい竹ではないことになる。以前「随想庄内竿」を書いた根上吾郎氏が大分昔に富士竹類植物園にニガダケの現物を送って調べて貰ったと云う。そこの富士竹類植物園の大先生からの返事は東北地方に多いメダケ属のアオネザサだと云う回答を得たと当時荘内日報に連載していた釣り随筆に書いた。この事が荘内地方の多くの釣り人の間に浸透するに至り広く定着して行った。それ以来庄内地方に、ニガダケ=アオネザサが完全に定説化した。ところでこのアオネザサと云うのは、色々と異称がある。トヨオカザサ、ノビドメザサ、ウワゲネザサ、ホソハバノアズマネザサ、ボウシュウネザサ、コシメダケ、リョウケネザサ、シラカワザサ、ウスイザサ等の呼び名があると云う。
 何故こんなに異称があるかといえば、竹と笹の区別がはっきりしないように、同じ竹、笹が地方地方によって様々な名前で呼ばれていた現実があるからなのだ。日本に生えている竹笹は名前だけを列記すると八百を超えると云う。現実に同種を分類すると二百五十種から三百五十種となるらしい。このらしいと云うのは、竹の権威の先生達の間でも、未だに種の固定がなされていないと云う現実がある。更に面白いのは竹と笹の区別もなされていない。イネ目イネ科タケ亜科と云う事になっているが、イネ科タケササ類と分ける説も出ているのである。同じ庄内のニガダケであっても、学問的には分からないが、明らかに多少の違いがあるものが存在する。他の竹との交配に寄るものなのかは、土壌の栄養の関係によるものなのかどうかも分からない。海に近い所、海から少し離れた所の竹藪、山もしくは、山の近くにある竹藪そして竹が生えている堅い土質や柔らかい土質によっても多少の違いを見せる。県境を越えた秋田の象潟、本庄辺りのニガダケはどちらかというとずんぐりむっくりのニガタケが多い。庄内を除いて黒鯛を釣るような竿に出来る竹はほとんどない。ただその昔クルマ竿(スズキを釣るために横転リールを付けたブッ込竿)はこちらの竹藪から採ったともの聞いている。クルマ竿は、丈が短くとも大型魚を獲るため竿であったから、太くとも丈夫でありさえすれば良いと云う竿であった。
  そんな中から竿に適する竹を選ぶのであるから、大きな籔であっても竿に出来る竹は、一から二本あるかないかとなる。明治の名竿師上林義勝と職業竿師が或る年一緒に河北(最上川の北)に竹を採りに行ったところ上林義勝は十本そこそこだったが、竿つくりの業者はなんと三千本も採ったと云う話が残る。だが、竿を作る心得のある人が見た所、その三千本のほとんどが駄竿であったと云う話が残る。